過去、今振り返って②「うつ病は続けど過去を振り返る。勇気を持って」

Aya

このページは前回の「今、過去を振り返ってみて」の続きになります。ここからは私に現れた症状、出来事をお伝えしていきたいと思います。

何故電車に乗れないの?帰れない。。。

小学校時代のフラッシュバックが時々起こるようになって、暫くすると、仕事が終わり、会社を出ても家に辿り着くまで何度もの休憩が必要になり始めました。

まず、駅のトイレに篭り、電車に乗って、乗り換えの駅で一旦下り、デパートのトイレに篭り、少し歩いてまた違うデパートのトイレに篭り、そして、時間を遅らせてでも座れる電車に乗って最寄りの駅へ着き、その駅のトイレにまた篭り、ようやく家に向かう。

そういう日々が続きました。

PMDD が悪化して、その症状の出る期間が長くなって来ているのには気付いていたので、「PMDD で体がホルモンに乗っ取られているんだ!」と思っていました。

なにしろ、仕事に集中した後の脱力感と脳の緊張感から貧血や吐き気、酷い倦怠感ですぐには帰れなかったのです。

だいたいそれぞれのトイレで20〜30分籠っていたと記憶しています。

始めはその方法で、家に着く頃には、なんとか家族の顔を見れて、食事も出来ていたのです。でも、ある日、最初のプチ家庭内暴力を起こしてしまいました。

何がきっかけだったのかわかりません。食べられない事にイライラしていたのか、TV等の下らない番組にイライラしていたのか、もしかすると、誰かが私に話しかけたことが神経に障ったのか、全く覚えていません。

が、私は突然、立ち上がり、食べていたお皿に残っている物全てを捨て、自分の部屋に篭ったのです。

部屋に戻っても落ち着かず、泣きながら色々な物を投げたり蹴飛ばしたりしました。その時使っていた携帯もブッ潰れました。

とうとう会社で

その数週間後には本格的??なプチ家庭内暴力を起こしてしまいました。

またです。食事の際に急に立ち上がり、今度はテーブルをひっくり返し、椅子を持ち上げて投げ、部屋のガラスまで割ってしまったのです。ガラスが割れてしまった事に対する驚きと申し訳ないという思いと、その他全ての感情で号泣しながらも動けませんでした。

でも、生真面目な私は、少し落ち着いて、その時不在だった父に電話し、ガラスを割ってしまった事を謝罪しました。

その後の自責の念はもう例えようがありません。自分の部屋で夜中まで泣き、それでも、次の日の会社の為に準備をし、眠れないまま出勤した事はよく覚えています。

そのまま、数日、もしくは数週間が過ぎ、ある日、私は派遣会社の担当社から呼び出されました。理由は予期した通り悪い事でした。私が、「目立ちすぎる」というのです。

「またか。。」「ここでもまたそれか」と慣れてはいたもののショックでした。何故なら、そこの会社では、私の仕事ぶりは完全に認められていたからです。

もう、私の心はズタズタでした。即座に「次の更新は致しません」と答えてしまったのです。担当者は焦っていましたが、私も意地があったので、譲れませんでした。

そして、話が終わり、私が立ち去ろうとした時、貧血なのか、パニックなのかわかりませんが、派手に倒れたのです。音がする程派手に。その時のその後の記憶はあまりありません。おそらく派遣会社担当から上司へ連絡が入り、早退したのかな。と思います。

ついに、私は会社でも邪魔者になり、家にも居辛くなってしまったのです。

数日後、会社で、私が退職すると言う議題の課内会議の後に過呼吸で倒れました。その時は同僚の方が医務室に連れて行って下さったのを記憶しています。

そうして私は、退職し、次の仕事を探しながら、自分1人で調べて心療内科へ足を踏み入れたのです。

少しの休憩

「重度寄りの中程度のうつ病」

下された診断は過去のブログでもお伝えした通りです。私は一度、仕事を探すのを止め、居づらいながらも、家で家事手伝いをする事にしました。

毎日家の事をし、ワンちゃんの散歩をし、ストレッチや、バランスの取れた食事づくりも欠かしませんでした。

ミニチュアシュナウザーのファンクと私

1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月が過ぎ、体調は安定し、一旦は医師からも終診の告知を受けたのでした。

見合いと結婚

すっかり回復した様に見えていた私に両親はお見合いを勧めて来ました。

正直、「またか。。。」と思ったのですが(というのもこれまでにも何度もさせられていたので)その時の私は気分も良く、なんとなく承諾し、お見合いが決定しました。

お見合い当日、相手の方は優しそうで明るい普通の人に見えました。あちら側も私を気に入ってくださり、話はとんとん拍子に進み、出会って3ヶ月で結納が決まりました。

その後、段々と彼に不審な点が目立つ様になって来たのです。辻褄が合わない事が多いのです。

私は問い正しました。「収入はどのくらいあるのか」と。彼は「800万円はある」と言ったのです。結婚を期に車を新調するからとディーラーにも連れて行かれました。

でも、私の不安は消えませんでした。

結婚式は3ヶ月後に決まっていたのですが、私は「これは絶対に変だ。何かが違う。あの家には入りたくない」と思ったのです。

が、両親は勿論私の意向を許しませんでした。「すぐに離婚してもいいからとにかく一度結婚してみなさい」とまで言われました。母には「私が全面的にサポートするから大丈夫」と言われました。私は母を信じました。

そうしてまた親に逆らいきれず、私は嫌々ながらも結婚したのです。

「何か変だ」という私の感覚はやはり正解でした。まず、荷入れの日、彼の部屋は見た目は片付いていたものの、出てくるわ出てくるわ、リカちゃんなのかバービーなのかわかりませんが、裸の人形達、少女のフィギュア、エロアニメのセル画やイラスト、エロアニメそのもの、大人のおもちゃ、更には使用後の何かしらまで。

「マジか?コイツ??」

私は別にそう言う趣味を否定しているわけではありません。ただ、隠していたという事に腹が立ったのです。

そして、それらのコレクション全てを大サイズのゴミ袋、約30袋捨てました。🤮🤮🤮

私が整理している間、あちら側のご両親は一切現れませんでした。逃げていたのです。

それでも私の両親は「結婚しなさい」の一点張りでした。結納金の倍返しと世間体からでしょう。

しかし、私からすれば結納金の倍返しなど法律で決まっているわけではないのに、なんで???払わなきゃいけないわけ?という不満がありました。騙されたのはこっちなのに。

結局、そのまま結婚し、暮らし始めた矢先、あちらのご両親から呼び出されたのです。「大事な話があるから」と。

お金の話でした。私の元夫は実は無収入だったのです。そう、彼はウソを並べ立てていたのです。私達は義父のお小遣いで暮らして欲しいと言われました。

私はその時私が働くか、彼に働いて貰うかどちらかでないと夫婦生活が成り立たないと思い、職探しを始めました。もちろん彼にもお願いしました。が、彼は一日中家におり何もしないのです。

私は彼をハローワークへ連れて行き、右往左往する彼に付き添い、登録をすませ、検索の仕方を教え、職探しを促しました。

毎日お弁当を持たせ、ハローワークに通わせました。数日後、一枚の紙切れを持って帰って来た彼は「ここで働きたい」と言ったので、「じゃ、もう窓口にいって来たんでしょ?」と言うと、、、まだでした😰

次の日、履歴書が必要なので私も付き添って書きはじめましたが、志望動機の所で悩み出したのです。

一旦席を離れ2時間後、様子を見に行くと、書かれていた志望動機は、、、

『私は〇〇が好きです私は〇〇が夢でした。私は御社で働きたいです』

で、終わり。。。

「コイツ、、、まじで、、、マジかっっっ!!」

なので、結局私が書き直し、履歴書を郵送しましたが、予想通り、不採用。

ま、当たり前ですけどね(笑)

もう一つの問題は、義父母は後継がほしかったのですが、彼はED(男性機能不全)だったのです。

まさかの『ED😵😵😵なので、夫婦の営みは無し‼️子供なんか出来るわけがない。

そのことについては義父母に私から説明致しました。ただ、あちら側は納得しませんでしたが😩

挙句、私が彼の財布から千円盗んだと責められ追い出され、(千円盗むって何??しかも盗んでないし千円なんか🤬実質2ヶ月で夫婦生活は終わりました。そして、3ヶ月で離婚しました。

その後です。うつ病が更に悪化したのは。

勿論、実家には帰らせてもらえませんでした。私はまた自分一人で部屋を探し、一人暮らしを始め、働きだしたのです。

両親のサポートはありませんでした。

絶望感

母の言葉を信じた私が悪かったのです。


今日のところはここまでにしておきます。次は、その後どんどん負の連鎖に巻き込まれてゆく私の人生を記述したいと思います。

皆様、もう少しお付き合いくださいませ。

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