マルタ共和国から帰国直後

Ayaです。
今回はマルタで3ヶ月過ごしました。そのブログに関しては➡︎(うつ病Aya『うつ病でも旅行はできる』https://aya1718.xyz )
その間は誰にも気兼ねせず、
彼のB&Bを手伝って、様々なカーニバルにも参加して、美味しい食事も満喫して、綺麗なビーチにも毎日の様に行って、本当に気楽な3ヶ月でした。(やっとちょっとふっくら健康的になって帰って来ました。)
勿論、喧嘩もいーぱい😤😤😤したけれど、それはそれ‼️
で、帰国して、気分一心、超ロングだった髪を切りましたー‼️
で、今はというと、、、引きこもり鬱、再開です。
帰国直後は友達から連絡があってご飯食べに行ったり、整理したり、ガス再開したり(笑)と何かとやる事いっぱいで、まだまだ、海外生活の続きだったのですが、
それが落ち着くと、
『ドーーーン』
やって来ました次のトンネル。
先ずは息切と立ちくらみ⇨⇨動けない⇨⇨這ってでも何か食べに冷蔵庫へ⇨⇨眠れない⇨⇨先の事ばかり考えて全てが、ネガティブ⇨⇨再び痩せ始める

涙が止まらない。鍵をかけたり、開けたり。
次の遺書はなんて書こうか考えたり。
泣きながらでも夜中に外を徘徊したり。。
吐き出す場所がないから、私から逃げるの解ってても母に言うと、、、
「私にどうしろっていうの!?私はあんたが怖い‼️、もうそんな話聞きたくないから私は寝る」

私の母は、私からすれば少しネグレクト気味だと思います。
病院について来たこともなければ、何度言っても、うつ病について、調べようともしてくれません。どうやって接するのがいいのかわからないなら調べるのが普通だと思うのですが。。ましてや親ですよ。
そして、「私はあなたの事を心配している。心配して寝れないから疲れている。」とか、
「私が全面にサポートするから大丈夫!!」
と言ってくれるので信じると、掌返しで、裏切られ、「私はあなたの為に、色々考えている」
等、恩着せがましく、それでいて何もせず、結局は自分の事しか考えていません。
最初からアテにしなければよかった。と今になって思います。
精神障害の苦しさは同じ苦しみを持った人にしかわからないと、もっと早々に気付くべきでした。
親だからわかってくれるかもしれない。と期待したのが間違いでした。
なので、今回私は決心したのです。
「もう両親には私の病気のことや、現在の状況、病院で言われた事も、何も、何も話すまい」と。
今まで彼女の「心配している」という言葉に惑わされて報告は怠らなかったのですが、これからは絶対に、何も話しません。
そうすると涙が止まりました。
何故ならば、諦めたからです。
私が今回気づいた事
- 期待はしない
- 憎まないが感謝もしない
- 過去や先の事は考えない。今だけを乗り切る
思えば今まで私は、1人でうつ病について勉強し、病院も探し、精神障害2級も、全部1人でサポート無しでやってきました。
なので、親に言っても言わなくても同じなのです。
おそらく親にとってもその方がありがたいのでは?とすら感じます。
帰国して1ヶ月半

少しずつトンネルの出口に近づいて来た感覚を覚えはじめました。
ファンクが1番の理解者です。泣きたくなると彼の元へ行き、泣きながらでも何かお喋りします。
食い意地が張ってるのでご褒美はねだられますが、私の頓服薬になってくれている事は確かです。
もう少し、もう少しすればまた彼とのお散歩を再開できます。
今はファンクとのお散歩再会と、イタリア人の彼が来る1月を目標にして1日を乗り越えて行きたい。
帰国してからの1日はとても長く暗いトンネルの中。でも出口が見えかけている。
彼が日本にやってくる前には完全に脱出できていたいです。まぁ、また次のトンネルがやってきますが、その時はその時、同じ事の繰り返しでしょう。
でも、今回の学びでもまた少し、気を抜く小さな穴ができたように感じます。
少しずつではあるけれど、自分の中に引いてしまっていた最低限のラインのレベルをちょっとずつ下げて、苦しみが、辛さが和らいだらそれが一つのトンネルを抜けたサイン。
帰国して1ヶ月半。3ヶ月経てばきっと光が差し込むでしょう。(今まで10年間の経験では)
出来なくていい、自分勝手でいい、無責任でいい。
今回は現在の状態を書かせて頂きました。
次回は勇気を出して過去を振り返り、過去の出来事で、「しなければよかったなあ」と、今になって思うことなどを綴り、現在苦しんでいる人達への、メッセージになる様なブログを書きたいと思います。
気楽に、気楽に、今日を乗り切ろう‼️