
なんだか、年々、気候が変になってきている気がするのは私だけでしょうか?春も秋も無くて、夏と冬だけになって来ている様な気がします😒汚染物質飛散の日などは鼻と目の調子も悪いですし。
環境問題、やはり全ての国が意識して欲しいと切に願います。
さて、前2回は「うつ病と動物の関係」について執筆させて頂きました。少しでも共感して下さる方がいらっしゃれば幸甚です。
また、犬や猫の里親様ご希望の方は是非私にご連絡下さいませ。
今回は、主に「日本人の習性がうつ病を促進させる」というような内容を記述して参りたいと思います。どうぞお付き合い下さいませ。
自己が確立された私の基本的な性格
思い返せば、私の自己が完璧に確立されたのはロンドンでの4年半の生活の間だった様に感じます。
もちろん、それまでも違和感を感じる事は何度もありました。
子供時代も、学生時代も、特に社会に出て組織の一員であった時などは「どうして、そんな事しなきゃならないの?」もしくは「どうしてこうしちゃダメなの?この方が早く仕事終わるのに」と言う様な事が非常に頻繁でした。でも、あまり深く考えていなかったのです。
「髪の色が茶色ですね」とか言われた時も普通に何も考えず「あっ、そーなんですー。こーしてみましたー!」とか(笑)素で答えていました。でもあれは、遠回しに注意されてたんですよね(笑)
それだけ、自分が周囲から浮いているという自覚が無かったのです。しかも、会社では仕事しかしていなかったので、噂されているのに気付くのも何年か経ってからでした。
渡英してからは、苦しいながらも必死でしたし、充実していました。悩みもたくさんありましたが、人間関係の摩擦などはありませんでした。
そこで初めて疑問に思ったのです。「色々な人がいて当たり前なのにどうして私、あんなに浮いてたの?」と。そして、その答えも直ぐにわかりました。「ああ、日本だからだ」と。
そして更に「Yes or No」をハッキリ言うのが当たり前の性格になっていったのです。
私にとっては正に当たり前でした。シックリ来たのです。
そうして4年半後、ハッキリしていて、ストレートで、「すみません」ではなく「ありがとうございます」と言い、1人行動(それは昔からでしたが)が平気。と、ざっくり言うとその様な性格で帰国しました。
復帰した日本社会
元々オシャレが好きで華やかで目立つ存在だった私が、前述した様な性格でそのまま、日本社会に復帰して、違和感を覚えない訳がありません。何故なら、皆が、私を異端児扱いしたからです。
まず、見た目で判断され「異端児が来た」⇒「絶対仕事なんかせずにサボってばっかりするに違いない」⇒「今日もお昼に1人で何処かにいってた」⇒「ちゃんとお昼時間守ってるの?」⇒「うわ、やっぱりボーッとしてる」
と、こんな具合です。ただ、最後の「ボーッとしてる」というのは、激しく反論しますね。
私はは私なりに無駄を省き、出来るだけ速やかに且つミスする事なく、又、先を見据えてのリスト作り等をしていたので、そりゃ、人のことばっかり観察して、仕事ダラダラの人達に比べると、スピードが違うのです。
質問されれば即答できましたし、頼まれとも『え?もう出来たの?」という様な時も少なくありませんでした。
そうして、認めてくださる方も出来て来た反面、妬みや、虐めもエスカレートしていったのです。
その時の私は、「なんだ?この会社は?おかしいんじゃないの?」と思っていました。だって、私は何も悪い事はしていなかったのですから。。。
嫉妬、妬み、虐めが、単に煩わしくなり、結局、退職致しました。
その後、違う会社へ入社した私は、そこでもまた、同じ様な扱いでした。
私は私に原因があるとしか、思えませんでした。しかし、どこをどう振り返ってみても、私の短所が何なのか、まだわかりませんでした。与えられた仕事を時間内にこなし、特に誰とも深く関わらず、仕事中は集中型なので、残業も殆どなく、帰る。
一体それの何が悪いっていうの???
当時はわかりませんでした。と言うか、気付きませんでした。「いかに、ダラダラと仕事をしてる人が多いか。」「残業さえしていたら仕事をしていると思われる」と言うことも。そして、「グループでお昼を過ごす」と言う事も。
ただ、目立つのは仕様がないとは思っていました。それは昔からだったので。
見た目が、目立つからこそ、私のする事なす事全部が、目立って、浮いてしまっていたんですよね。
でも、それが粗探しや妬みの対象になるなんて発想にもありませんでしたので、非常に息苦しさが増していきました。
次第にその息苦しさがエスカレートし、次は、日系の会社で、バンコク支社駐在へ、就職しました。
タイは、、、、日本以上に人と同じでなければ生きていけない社会でした。おまけに男尊女卑。
なんとか、2年頑張って、移動届けを出しましたが、認められなかったので、また退職。
結局、日本で、日本社会のなかで、息苦しさを感じながら働くしかなかったのです。
何故日本人は皆と一緒でなければならないの?
単に自分がそれで、安心するからでしょうね。
それと、日本人は協調性を重んじすぎるあまり、個性を潰すエキスパートですね。
組織は組織で、「協調性」と言う柔らかな言葉を使いながらも結局は「服従」を求めているのだと思います。
だいたい、就職活動の方達の個性のない事からして、おかしいのです。
制服のように、同じ様なスーツ姿で、同じ様な決まり文句を並べ、採用する側といえば、単に好みとか、偶然目についた。程度の採用基準。それが、現実です。
それを単に「縁のもの」で片付けてるだけなのです。

幸い、私にはある程度の経験とスキルがあった為、転職にそこまで困りはしませんでしたが、結局は、同じことの繰り返し。
時間がかかっても、中身を見てくださる方はいるのですが、見た目判断でそれを変えようとしない日本人のほうが実際は遥かに多いです。
それもまた、「皆がそう言うからそうなのだ」と言う日本人特有の人に合わせる習性なのでしょうね。
社会全体的に合わせる傾向
仕事の場面だけではありません。例えばファッションにしてもそうです。
街を見渡すと、同じ様なスタイルで、同じような髪型で、同じようなメイクの女の子達を良くみかけませんか?私は見分けが付かない事がしょっちゅうあります。

「今はコレが流行っているからコレにしておけば間違いない」というのは理解できます。でも、余りにも同じ過ぎるのです。何故そこまでして、人に合わせるのか、似合っても無いのに流行っているというだけで、何故???何故自分の確たる意志が無いのか。
人生にしてもそうです。女性は少し働いて結婚して、子供を産んで、というのが「勝ち組」???全く意味がわかりません。
その人それぞれの価値観、生き方があるのです。それを勝ち組だの、負け組だのと、私からすれば、バカバカしくて話になりません。
私は日本の文化は素晴らしいと思っています。
- 人を思いやる心
- 素直な心
- 謙虚な心
- 熱心で勤勉な心
しかし、上記に述べたような心が失われつつあるのも事実だと感じています。
謙虚で素直な心を持つ人が多ければ私の良い面をちゃんと見てくださる方がもっといた筈です。
もし、人を思いやる心のある人が多ければ私は病気にはなっていなかった筈です。
勤勉で熱心な心のある方が多ければ私が改善した方法もすんなり受け入れられる事ももっと多かった筈なのです。
私は病気になり、色々な事を考え、悩み、捨てた事、学んだ事、それぞれあります。
しかし、自分の理念は捨てる事はできません。いえ、捨てる必要など無いとおもっています。何故ならそれが自分なのだから。
自分が自分でいられると言うことほど幸せな事はないと気付きました。これは病気のおかげです。
そしてもし、働けるようになったとしても、私は二度と日本社会で働く事を選択はしないでしょう。
わざわざ、自分から自分でいられなくなると分かっている様な所に身を置く勇気はありません。また再発、悪化の一途です。
私はこれから先、自分の居場所を見つける事ができるのでしょうか?
そういう場所に出会える事を信じて、これからも、病気と共存していくつもりです。
同じ様な病をお持ちの方、どうか、お願いします。自分を変えるのではなく自分を肯定してみませんか?これが自分なのだと。
闇は長い。闇は苦しい。闇は人を狂わせる。
何度も経験しました。また、いつその闇が来るかもわかりません。
しかし私は自分の理念だけは守り通します。自分自身の魂の為に。。。。 Aya